昭和から平成へ ホッカイダー小原信好の 「AROUND THE JAPAN 35000kmの旅」vol.1
今も昔も、旅人にとって「日本一周」は憧れの旅。お金があっても、時間があっても、簡単にできることではない。誰もができるわけではないから、日本一周をしている旅人を見れば応援したくなるし、達成した人には賞賛...
> 昭和から平成へ ホッカイダー小原信好の 「AROUND THE JAPAN 35000kmの旅」vol.4
今も昔も、旅人にとって「日本一周」は憧れの旅。お金があっても、時間があっても、簡単にできることではない。誰もができるわけではないから、日本一周をしている旅人を見れば応援したくなるし、達成した人には賞賛と尊敬の念を抱いてしまう。
今から30年余り前、「昭和」が「平成」に移ろうとしていたあの頃、ひとりの青年がバイクで日本一周の旅に出発した。青年の日本一周を通して、当時の時代背景や、長旅にまつわる苦労や出逢い、喜びに触れてみよう。
日本一周はまだまだ序盤。本州を順調に(?)南下、この日は伊豆半島を一周。やがて陽が沈む。
国道1号沿いにある公園の駐車場端に、目立たぬようテントを張
ソ~っと開けて確認してみると、
「ヤベ~、、、」
とっさにバイク用グローブをはめ、身構える小原青年。
しかし、程なくし
「ホッ」
として眠りにつく。ところが夜中になって、あの集団が戻ってきた。そうか、「集合場所」って事は、
「移動すれば良かった!」
と思った
「お!あのバイクとテント、まだいるぜ!」
と数人が近寄ってきた。
「寝てるのか~?」
「盛岡ってどこだ?」
「テント開けちゃおうぜ!」
これはマズイ。またまたバイク用グローブをはめて、ペグ用ハンマ
「何しんてんだ!こっち来い!構うな!」
と、先輩風の口調で近づいてきた男性が、テントを囲んでいる彼ら
「わかりましたー!」
渋々解散する男達。助かった~。先輩、ありがとう!感謝!
まだ出発して一週間も経
静岡県内に入ると、「富士山」を見ながらの走行になる。我が故郷に
静岡県庁に到達し、浜松方面へ。浜名湖畔の高台にある「舘山寺温
「スキーか?」
と話しかけられた。4月の静岡でスキーは無いだろうが、ブーツが
「いえいえ、バイクです」
と答えると
「そうか、ポンポンか」
「ポンポン?」
浜松市はバイクの町だ。ホンダ(本田技研工業)が創業し
浜松市内中、バイクが走っていたのでは?
そう
まだネットが無い時代、旅の情報収集は駅前の観光案内看板や温泉、食
岐阜県庁、愛知県庁を経て桜咲く京都府へと旅を進めていく。
高校
ベース宿にしたのは「宇多野YH」(関西95A-3)だ。やっぱり
日本一周に出発して1カ月近くたって、小原青年はすっかりヒゲ面に
小原青年は、京都に来るまでほとんど他の旅人と接する事がなかったため
旅人ネームが特に決まっていなかった小原青年も、「宇多野YH」
ただ当時は今と違って、
ようやくもらった「クマさん」という旅人ネームでバイク旅を再開。京都府庁、奈良
伊
「本州の東西南北端」の一つ、本州最南端「潮岬」(関西2A-7
昭
次回、淡路島経由四国八十八ヶ所巡り編。淡路島では私がのちに「
※当記事はツーリングマップル週刊メルマガにて2019年1月~4月に配信した記事を再編集したものです
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