内田一成の「キャンプツーリング徒然」第3話
ツーリングマップル中部北陸版担当の内田一成さんによる、キャンプツーリングコラム。アウトドアやオートバイとの付き合いが長く、バイク誌・登山誌などでも活躍してきた内田さんの、キャンプツーリングにまつわるさ...
> 内田一成の「キャンプツーリング徒然」第4話
ツーリングマップル中部北陸版担当の内田一成さんによる、キャンプツーリングコラム。アウトドアやオートバイとの付き合いが長く、バイク誌・登山誌などでも活躍してきた内田さんの、キャンプツーリングにまつわるさまざまなエピソードをお届けします。今ではあり得ないような無茶な企画バナシに始まり、自然との対峙の仕方、焚き火や料理、ギアや各種ノウハウなど、多岐にわたるお話は、どれも興味深いものばかり。読めばきっと、外に出たくなるはず。
もう絶版になってしまったが、20年あまり前に、風魔プラスワンの番頭役を務めていた小川修司さんと一緒に『ツーリング大全』という本を作った。おもに東北を舞台に取材をしたのだが、その取材のときのこと。
秋田から青森へ抜ける林道を走り、その林道の傍らにテントを張った。この頃、小川さんは渓流釣りに凝っていて、林道の下を流れる渓流まで深い藪を漕いで降りて行き、夕暮れまでの2時間くらいの間、彼と版元の太田出版の編集者である橋本さんとぼくの三人で竿を振り、けっこうな数の岩魚を釣り上げた。
キャンプは、それぞれのソロテントをコの字型に並べて張り、その真ん中で焚き火を熾して、釣果を炙り、麓のスーパーで仕入れた食材を使って料理を作った。さらに、東北の銘酒を何本か開けて夜が更けるまで酒盛りをした。
林道を何十kmも走り、その後、渓流に降りて川を遡ったりしたので、もうヘトヘトに疲れていた。そのため、地酒の中瓶を何本か空にした頃には強烈な眠気に襲われた。
いつテントに潜り込んで寝たのか記憶にないまま、気がつくとテントの中でシュラフに包まって朝を迎えていた。今、何時だろうと、シュラフの中から腕を出して、時計を見ようとしたそのとき、呻くような声がした。
「う~、う~、う、ち、だ、さん、起きていますか…」
それは、橋本さんの声のようだった。
「橋本さん? どうかしました?」
「そ、それが、今まで、クマがいたんですよ」
橋本さんが震える声で答えた。
「クマ?」
慌てて起き上がり、テントのゲートを開けて外を覗くと、食べかけの料理が入っていたはずの鍋やコッヘル、日本酒の瓶などがあたりに散乱し、焚き火跡も踏み荒らされ、焚き火に載せておいた焼き網も林道の向こう側に落ちていた。
橋本さんは、踏み荒らされた焚き火跡の向こうで、テントから首を出し、不安げな顔をこちらに向けていた。
「ずっと、ここで食べ物を漁っていて、ぼくは恐ろしくて恐ろしくて、ずっとテントの中で震えていたんです」
恐る恐るテントから出て、あたりを見回したが、クマの姿はなかった。
焚き火の周りに放置していた魚の食べ残しは影も形もなく、コッヘルを拾ってみると、ピカピカに磨いたように舐め取られていた。そして、焚き火の周りは、顔をしかめたくなるような獣の匂いが充満していた。
もう食べるものがなくなって退散したのだとは思うが、テントの中で人の気配がしたので身を翻しただけで、まだ未練を持って、どこからかこちらを観察しているかもしれない。
ちょうどその頃、ぼくは登山専門誌の記者もしており、北海道での遭難史をまとめたばかりだった。北海道ではヒグマに襲われて遭難した事故がいくつかあるが、なかでも悲惨な記録は昭和45年に起こった福岡大パーティ遭難事件だ。
日高山脈を縦走していた福岡大学のパーティのテントがヒグマに襲われたが、そのときは威嚇したらクマは逃げたので、そのまま撤収して縦走を続けた。すると再び同じヒグマに襲われ、一人が餌食にされてしまう。残ったメンバーは必死で逃げたが、さらに二人が執拗に追ってきたクマに襲われて命を落とした。
クマは一度手につけたものは、自分のものだと思う。それを持っていると、クマは執拗に取り返そうとする。だから、漁られてしまったザックはそのまま放置して逃げたほうがいいという。
そんな記事を書いたりしたものだったから、とにかく威嚇しておいたほうがいいだろうと、オートバイのエンジンを掛け、しばらくホーンをけたたましく鳴
らした。そして、万が一襲われたときのことを考えて、すぐにオートバイに飛び乗って逃げられるように、三台ともエンジンを掛けておいた。
そのうち小川さんも起きて、テントの外に出てきた。
「どうしたの? エンジンなんか掛けっぱなしにして」
「クマが来て、残飯を漁っていたんですよ」
と、橋本さんが答えると、小川さんは欠伸をしながら
「ああ、クマね。そういえばいたね」
と、まるでいつもの朝の挨拶のように平然と言って、寝ぼけ眼をこすっている。
「まだそこらにいて、戻ってくるんじゃないかと思って、威嚇したんですよ」
と、ぼく。
「なあに、大丈夫、大丈夫。ツキノワグマなんて、ちょっと大きな犬くらいのもんだから、心配することないよ」
と、今度は高笑いする。
小川さんは大らかというか、物事に動じないというか、彼を知る人は、みんな「アバウト小川」と呼んでいたが、このときほど「アバウト小川」の意味に感じ入ったことはなかった。彼は3年以上も世界を巡り、辺境や紛争地帯を通り過ぎた経験も豊富なのだが、よくこんな調子で日本に帰ってこられたものだ。あまりに精神のできあがり具合がアバウトなものだから、鬼や魔も取り憑くのがバカバカしいのかもしれない。
それにしても、このクマに遭遇した時の三人の反応は、三者三様で面白かった。橋本さんはクマの気配にいち早く気づいたが、とにかく刺激しないほうがいいだろうと、クマが去るまで気配を殺していた。これはいちばん理性的だ。小川さんもクマの気配には気づいたが、ツキノワグマなんて大型犬程度のものだからと高をくくって、また眠ってしまった。これは、まさにアバウトそのもの。そして、ぼくはクマの気配にも気づかず、高いびきだった。これは「知らぬが仏」の典型だ。
北海道に生息するヒグマに比べれば、たしかに本州に生息するツキノワグマは小さいが、襲われて命を落としたり大怪我した例はたくさんある。だから、このとき無事だったのは単に運が良かったというだけだ。
このクマとの遭遇の後も、小川さんは相変わらずアバウトなままだった。ぼくはさすがに危機感を持って、以降、人里離れたところでキャンプするときは、残飯などを残さないように心がけるようになった。そして橋本さんは、この一件以来、キャンプの誘いには応じなくなった。
ちなみに、この後発刊された『ツーリング大全』には「フィールドでの危険」という一章を設け、その中でクマに襲われないようにするためのノウハウが収録された。クマに襲われないためのノウハウも心構えも、いちばん希薄だったのは、著者自らであったことはここだけの話ということで…。
※当記事はツーリングマップル週刊メルマガにて2015年1月~3月に配信した記事を再編集したものです。