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ツーリング前に知っておきたい!「あの映画・小説はココで生まれた」vol.9

ツーリング前に知っておきたい!「あの映画・小説はココで生まれた」vol.9

by touring_m@pp1e

更新日:2020年2月20日

漫画やアニメ、映画やドラマ、小説、歴史的事件などの舞台を旅する「聖地巡礼」がメジャーになってきた昨今。物語の舞台になった場所は日本中にたくさんありますが、案外、そのことを知らずにツーリングで訪れて満足していることも多いものです。
せっかく行くなら、その土地にちなんだ作品を鑑賞してから行ったほうが、絶対に楽しめますよね!そんな作品と土地について、『関西』担当著者の滝野沢優子さんから紹介していもらいます!気になった作品を見て、その場所を訪れてみましょう!

第9回「菜の花の沖」(小説:1982年)の舞台=淡路島

1769年、淡路島・都志本町(現・五色町都志)の極貧農家に6人兄弟の長男として生まれた高田屋嘉兵衛(たかたやかへえ)という人がいました。

11歳で隣村へ奉公に出ましたが、奉公先でいじめに遭います。しかし島を出て、裸一貫で神戸へ渡って船乗りとなり、船頭としての才能を発揮。加えて商才も開花しました。

わずか28歳で、当時国内最大級の「辰悦丸(しんえつまる)」を建造して独立。北前船の廻船問屋として大成功した豪商です。拠点とした函館の基礎を築き、町の発展に大いに貢献したほか、国後島と択捉(えとろふ)島の航路を開拓するなど、北方貿易でも大きな功績を残しました。

1811年、ロシアと日本の軋轢から「ゴローニン事件」が起こり、それに巻き込まれた嘉兵衛は、翌年ロシア船に拿捕されてカムチャツカに連行されてしまいますが、ここが嘉兵衛の人格者たるところで、船長リコルドと友好関係を築き、交渉に成功、蝦夷地(北海道)を支配していた松前藩に幽閉されていたゴローニンを無事に解放し、日本とロシア修好の先駆けとなったのです。

嘉兵衛の生涯を書いた司馬遼太郎の小説「菜の花の沖」は全6巻、読破するのは大変(現在、5巻目読書中)なので、映像を探しましたが、これがなかなか見つかりません。2000年にNHKドラマで放映(主演・竹中直人)されているのにNHKオンデマンドでも見つからず、ごく短いダイジェスト版しかありませんでした。

冒頭に出てくる青い海をバックにした菜の花畑がとても印象的だし、カムチャツカあたりの風景も出てくるようだし、ぜひ全編を映像で見てみたいのですが、レンタルビデオでも常時貸し出し中になっているし、DVDはプレミアが付いていて超高値のため手が出ません。

それにしても、NHK以外では映像化されていないのが不思議(壮大すぎて予算的にムリ?)だし、作者の司馬遼太郎が絶賛するほど魅力的な人物である高田屋嘉兵衛が、あまり世に知られていないのも、ちょっと納得がいかない感じです。

まだ読んでない部分ではありますが、リコルドとの別れのシーンが感動的で、船に乗っていたロシア人水夫全員が甲板に集まり、見送る嘉兵衛に向かって「ウラァー(ロシア語で万歳)、タイショウ(大将)!」と敬礼しながら叫んだのです。ぜひ、映像で観たいシーンです。

ロシア人といえば、私も2001年にウラジオストックからバイクでシベリアを走って、中央アジアへ2ケ月ほどかけて抜けましたが、日本で抱いていた冷たく無表情なロシア人という印象が一変しました。実際のロシア人は世話好きで人見知りせずに、どんどん話しかけてくる陽気な人々だったのです。あちこちで声を掛けられ、家に招かれ、泊めてもらいました。英語はほとんど通じず、毎日ロシア語でやりとりしたおかげで、当時はそれなりにロシア語がわかるようになり、その後ロシア語圏の旅で大いに役に立ったものです。

ところで、同時代には高田屋嘉兵衛のほかにも、同様に廻船問屋の大黒屋高太夫がやはり漂流してアリューシャン列島にたどり着き、ロシアで10年近くを過ごし、エカテリーナ二世にも謁見しています。有名なジョン万次郎は、1827年生まれ。14歳でアメリカに渡っているので、嘉兵衛が亡くなってからのことですが、江戸時代末期から明治初めにかけては、彼らのように船の漂流によって他国へたどり着き、数奇な運命を辿る人がいました。

ロシアでは漂流日本人は日本との交渉時の通訳にさせられたり、日本語学校の教師にされたりしたようです。当時、日本は鎖国していたので、日本に戻れずに海外で生涯を終えた人もいたそうです。

嘉兵衛はロシアとの交渉後、弟たちに「高田屋」を任せ、50歳のときに函館をあとに郷里の淡路島に戻り、そこでも港や道路の建設に尽力した後、59歳で亡くなりました。

そんな大豪商「高田屋嘉兵衛」の出生地が淡路島の五色町(現在は洲本市)都志なのですが、現在は何の変哲もない海辺の田舎町です。五色町庁舎のある町中心部にコンビニ1軒、スーパー1軒くらいしかありません。近くの浜辺で「海ほたる」が見られますが、釣りや海水浴客が来るくらいで、淡路島の中でもかなり地味な町です。

失礼ながら、嘉兵衛が生きた江戸時代のほうが賑やかだったのかなあ、という気がしてしまうほどで、唯一の見どころといえるのが、高田屋嘉兵衛を顕彰して造られた、「ウエルネスパーク五色」。

高田屋嘉兵衛の功績を紹介する資料館のほか、オートキャンプ場、宿泊施設や温泉施設、スポーツ施設などが集まった広大な複合施設です。嘉兵衛に関する展示をしている「菜の花ホール」はかなり立派で、辰悦丸の2分の1のスケールの模型ほか、当時の北前船や樽廻船の模型、海に関する資料など豊富で見ごたえがあります。

▲ウェルネスパーク五色のキャンプ場

ミュージアムショップにはロシアの民芸品もあり、敷地内にはゴローニンと嘉兵衛が並んで立つ「日露友好の像」も建っていて、淡路島のこんな田舎にロシアとの繋がりがあるなんて、嘉兵衛のことを知らない人が見たら不思議に思うことでしょう。

そんな地味な都志に、バイク好きのオーナーが役場職員時代から兼業で始めたゲストハウス「アワジツーリストトロフィーハウス」があります。

ハンモックがたくさん吊られた楽しいドミトリールームのほか個室もあって居心地がよいので、淡路島での常宿にしています。ウエルネスパークも近いので、温泉には毎回入りに行きますが、そういえば菜の花ホールは一度見たっきり。そのときは小説も読んでいなかったけれど、次回はもっと興味を持って見られそうです。

というわけで、「菜の花の沖」、続きを読み進めます。みなさんも、淡路島へ行く前に、ぜひ読んでみてくださいね!

 

【関連リンク】

■ウエルネスパーク五色
■箱館高田屋嘉兵衛資料館

 

余談ですが、豪商・高田屋は2代目のときにロシアとの密貿易を疑われて(松前藩の報復とも言われている)幕府に全財産を没収され、3代目までしか商売は続かなかったようです。現在、8代目の方は豪商とは無縁の一般人らしく、それどころか、7代目が私財を投げ打って函館に造った「北方歴史資料館」(現在は閉館)の借金を背負わされて大変だったとか。てっきり、現在は大きな商社か企業になっているのかと思ってました。

 

さて、あまり淡路の観光スポットの話をしていなかったので、最後にまとめて写真をご紹介します。

(なお冒頭の夕景は「淡路サンセットライン」です)

▲あわじ花さじき 一年中きれいな花を観賞できる(入園無料)

▲玉ねぎオブジェ「#おっ玉葱」ハッシュタグをつけて投稿しよう!(うずの丘 大鳴門橋記念館)

▲淡路島はかつて「人形浄瑠璃」の聖地でした。いまは一座を残すのみですが、淡路人形座でそれを見ることができます。また、淡路人形浄瑠璃資料館では浄瑠璃の歴史等に触れることができます。

 

そのほかにも淡路島にはいろんなスポットがあるので、こちらも参考にしてください。

■淡路島のおすすめ観光・旅行スポット(マップルトラベルガイド)

 

筆者:touring_m@pp1e

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