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昭和から平成へ ホッカイダー小原信好の 「AROUND THE JAPAN 35000kmの旅」vol.2

昭和から平成へ ホッカイダー小原信好の 「AROUND THE JAPAN 35000kmの旅」vol.2

by touring_m@pp1e

更新日:2019年9月19日

今も昔も、旅人にとって「日本一周」は憧れの旅。お金があっても、時間があっても、簡単にできることではない。誰もができるわけではないから、日本一周をしている旅人を見れば応援したくなるし、達成した人には賞賛と尊敬の念を抱いてしまう。
今から30年余り前、「昭和」が「平成」に移ろうとしていたあの頃、ひとりの青年がバイクで日本一周の旅に出発した。青年の日本一周を通して、当時の時代背景や、長旅にまつわる苦労や出逢い、喜びに触れてみよう。

第2回 旅の記憶 旅立ちの前に~親父のレシピ~

 

バイクで日本一周に旅立つ決意をして、準備にいそしむ日々。次第に高揚する気分と、一方で感じる不安にドキドキしていた頃。やがていよいよ、出発の前日となった日のこと。

 

「米の炊き方は、わかるのか?」

 

親父が部屋に入ってきて話しかけてきた。

 

「米が炊けなくては、旅はできないだろう。道具を持ってきてみろ」

 

そう言って、台所へ下りて行った。久しぶりの、親父との会話だった・・・

 

「バイクで日本一周に行きたいから、会社を辞めるよ」

 

そう宣言したのは、旅に出る年の元旦。夕食時だった。

高校を卒業して、会社勤めをして3年。

 

「たった3年しか働いていないのに、もう仕事が我慢できないで辞めるのか!」

 

自身は仕事一筋だった親父は憤慨した。私が働き出したのを機に、家を建てたばかりだった。それも親子ローンで。その息子が無職になって、半年もの長い期間、バイク旅に行きたいと言うのだ。

 

その日から、親父は口をきいてくれなくなった。

 

少しでも旅の資金が欲しくて、退職後は出発直前まで、昼も夜もバイトをした。バイトは辛かったが、旅の道具が少しずつ揃っていくのは楽しかった。

準備できた180日間想定の旅の資金は99万円。100万円までは残念ながら1万円足りなかった。貧乏旅の割には潤沢な旅の資金に感じるかもしれないが、当時、写真はフィルムの時代。フィルム代、現像代、プリント代を考えると、純粋な「旅」に使える資金は半分となる。

私はその日まで、青森県十和田湖への野宿ツーリング1回と、2回の盆休み北海道ツーリング経験があったが、いずれも自炊をする事はなかった。しかし日本一周の旅は、節約するために、野宿がメインの旅となる。自炊は必須だ。

だがこのときの私は、旅の期待と不安が入り混じっていたこともあって、「旅の本はたくさん読んでいるし、旅をしながら自炊にも慣れていくだろう」と考えていた。

 

部屋中に散乱している真新しい旅道具の中から、ストーブとコッフェルを持って台所に降りる。親父は、米の研ぎ方から教え始めた。

米を水に浸すことを、岩手や北海道では「潤(うる)かす」と言う。

「米は、うるかす時間も大切。指の関節位置で水の量の加減を測る。火加減の調整。炊いている最中は、目を離してはいけない。炊き具合を失敗するくらいなら蓋を開けて炊き加減を確認する。そして蒸らしをしっかり」などといったことを細かく説明しながら、実際に米を炊いてくれた。それは「カニ穴」ができる、美味しい炊き方だった。

 

「わかったよ、なんとかやってみるよ」

 

とぶっきらぼうに言う自分に、

 

「手紙は書くんだぞ。母さんには心配かけるんじゃない」

 

親父はそう声をかけて、台所を出て行った。

 

翌朝、日本一周出発の日(昭和63年=1988年、3月21日)。

毎朝4時前に出勤してしまう親父には会うことができず、「行ってきます」を言えないまま、出発地点の岩手県庁前に向かった。県庁前には同級生や、恩師などが集まってくれた。

みんなと記念写真を撮って、まず南へと向かった。

 

出発から二日後、福島県の、とある無人駅で初めて自炊をした。あの日、親父に教わった通りに作ったつもりだったが、もちろん、いきなり米を上手く炊けるわけもなく、芯の残った硬いご飯を食べる羽目になった。

今でも、あの美味しくない米の味を憶えている。それでもその後、ほぼ毎日自炊していくうちに、だんだんと美味しいご飯が炊けるようになっていくのだけど。

 

ここで話はちょっと飛ぶが、日本一周の途中、鹿児島県からUターンして一旦北上することがあった。そして北海道に渡る前に、岩手の実家に立ち寄った。出発して3カ月ぶりのことだ。

親父は、玄関の前で待っていた。旅の途中、ハガキは送っていたものの、本当に心配していたのだろう。すっかり痩せ、日焼けして、汚れた髭面で埃まみれの、変わり果てた息子(苦笑)を抱きしめて、

 

「お帰り、お帰り」

 

と泣き笑いしている親父。こっちまで泣けてしまった。まるで「北の国から」で、吾郎さんが純くんを迎えているシーンのようだ。

 

「ただいま・・・」

 

今でも私は、キャンプで米を炊くときには、親父直伝の炊き方レシピを守っている。

 

ありがとう、親父。

 

(続く)

 

※当記事はツーリングマップル週刊メルマガにて2019年1月~4月に配信した記事を再編集したものです。

筆者:touring_m@pp1e

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