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内田一成の「キャンプツーリング徒然」第1話

内田一成の「キャンプツーリング徒然」第1話

by touring_m@pp1e

更新日:2019年8月15日

ツーリングマップル中部北陸版担当の内田一成さんによる、キャンプツーリングコラム。アウトドアやオートバイとの付き合いが長く、バイク誌・登山誌などでも活躍してきた内田さんの、キャンプツーリングにまつわるさまざまなエピソード。今ではあり得ないような無茶な企画バナシに始まり、焚き火や料理、自然などなど、キャンプツーリングにまつわる様々なお話は、興味深いものばかり。読めばきっと、外に出たくなるはず。

第1話 ~真冬のクレージー・クルージング・ラリー~

もう25年あまり前のことになるが、「月刊オートバイ」で「CCR(クレージー・クルージング・ラリー)」という連載を持っていた。現在は二輪車新聞社の編集長を務める本多正則さんが担当編集で、彼が好きだったロックバンドの「CCR=Creedence Clearwater Revival」をもじったネーミングだ。

「月刊オートバイ」のCCRは、風間深志さんからはじまる人気企画「オフロード天国」のスピンアウト企画で、毎回、オフロード天国でお馴染みのメンバーが登場し、おバカなツーリングを行うというものだった。

CCRには三つの基本ルールがあった。

第一は、一度のツーリングで1000km以上を踏破すること。

第二は、コースの中に過酷なオフロードを必ず織り込むこと。

そして

第三は、脱落者はその場に見捨てていくというもの。

いま思えばリスキーでふざけた話だが、当時の二輪業界は、メディアも読者もメーカーもアウトローなテイストを喜ぶ気風に溢れていて、こんなバカバカしい企画が好評を博した。

CCRの企画は、どれもこれもまさにクレイジーで思い出深いものだったが、その中でも強く印象に残っているのは、第一回の「真冬のツーリング」だ。

「名古屋城の金の鯱をバックに記念写真を撮りに行こう!」というのがテーマで、小雪の舞う東京をスタート。メンバーは、賀曽利さん、当時風魔プラスワンの企画室にいた小川さん、そして今でも『ツーリングマップル中部北陸』版でカメラマンを務めてくれている盛長さんとぼく内田の四人。

企画を持ち上げた担当編集の本多さんは、直前に風邪をひいてメンバーから外れた(今でも仮病の疑いが濃厚だと思っているが…)。

スタートが夕方だったので、国道20号をひた走り、雪の笹子峠を突破して勝沼に着いたときには、もう20時を過ぎていた。街道沿いの食堂で、コタツに入って熱いほうとうを食べて冷えきった体が温まると、強烈な睡魔が襲ってくる。

だが、まだ旅は序盤戦だ。意を決して氷点下の表に出て、再びオートバイにまたがる。

甲府を過ぎて向かった先は、南アルプスの前衛山脈を越える「丸山林道」であった。林道に入ると、見るまに雪が深くなっていく。我々4名のマシン構成は、DT200、CRM250の2スト2台と、XLR250R、DR250の4スト2台。林道突入時に乗っていたのは、

賀曽利さんがXLR250R

盛長さんがDR250

小川さんがCRM250

ぼくがDT200だ。

XLRとDRの4スト勢は、タイヤが半分雪に埋まる急坂でも、さほど苦労せずに登っていく。一方、2ストに跨った小川さんとぼくは、コーナーの度にリアが派手に流れ、必死にカウンターを当ててバイクを抑えこむ。一度停止してしまうとホイルスピンするばかりでなかなか再スタートできない。

気温は氷点下10度を下回ろうというのに、停止状態でエンジンばかり回すことになるので、水冷の2スト2台はラジエターの中の水が沸騰してボコボコいっている。

そんな調子で苦戦しているうちに、先に行った賀曽利さんがXLRで戻ってきた。

「どうしたんですか、内田さん」

「2ストだと、ピーキー過ぎてで、うまくトラクションしないんですよ」

とぼくが返事をすると、賀曽利さんはチッチッチッとしたり顔で指を振る。

「雪道ではねぇ、2速スタートしなくちゃダメなんですよ~、内田さぁん」

「それぐらい、わかってますよ」

「それからねぇ、ゆーっくり半クラ使って繋がなきゃ」

とバカにしたような口調で言うので、ぼくは、これは渡りに舟とDTを賀曽利さんに委ねた。

賀曽利さんは、2速に入れて、ゆっくりクラッチを繋いで…と思ったら、トラクションもへったくれもなくリアが流れ、バイクはあらぬ方向を向いた。なんとか転倒は免れたものの、再スタートを切ろうとして、また明後日の方向へ。

それから後は暴れ馬状態のDTに操り人形のように翻弄される。

XLRに乗り換えたぼくの方は、難なくスタートを切り、

「それじゃ、賀曽利さん、先に行ってますからね」

と、相変わらずきりきり舞い状態の賀曽利さんを置き去りにして峠に向かった。それまでの苦労が嘘のように10分ほどで峠に到着。CRMの小川さんは、徒歩でサポートに来た盛長さんに押されながら、ほどなくして峠に辿り着いた。

先に到着したぼく達はテントを張り、雪の下から木っ端を掘り出して焚き火を起こして夕飯の調理を始めた。

すっかり雪中のキャンプサイトが整って、夕飯の用意もできた頃、ようやく賀曽利さんが峠に辿り着き、ホッとしたのかバイクから降りるとその場にへたりこんだ。

そして

「やっぱり2ストで雪道はダメですねぇ~」

と全身から湯気を上げながら息も絶え絶えに言う。それでも、ザックから太巻き寿司を取り出し、まるでバナナにかじりつくようにあっという間に平らげると、とたんに元気を取り戻し、いつもの賀曽利さんに戻っていた。

その夜は極寒のキャンプながら、雪上走行の疲れで泥のように眠り、翌日はすっきり目が覚めた。テントから顔を出すと、賀曽利さんはすでに目覚めており、こちらに背を向けながら、焚き火の前に陣取っていた。

「賀曽利さん、おはようございます。早いですねぇ」

「あっ、内田さん、おはようございます。内田さんこそ早いじゃないですか…」

と、なんだかびっくりしたように振り向くと、また焚き火のほうに向き直る。よく見ると、何かを焚き火にかざしている。どうも、それを隠そうとしているように見えるので乗り出して見ると、賀曽利さんは愛用のモトクロスブーツを焚き火にかざしていた。

「賀曽利さん。そのブーツ、焼いて食うつもりですか?」

「いやねぇ、朝、目が覚めてブーツを履こうと思ったら、カチンコチンに凍っていて、足も入れられなかったものですから…こうして温めているんですよ」

と照れくさそうに言う。

「賀曽利さん、冬山ではねぇ、ブーツはテントの中に入れておかないと、凍ってしまうのは、これ常識ですよ~」

「わ、わかってますよ、昨日は疲れていて、つい忘れてしまったんですよ」

CCRは万事こんな調子で、愉快なサバイバルが続いていった。

この雪山特攻ツーリングでは、その後、名古屋まで走って金の鯱を拝み、そのまま浜松から中田島砂丘へ出て、ここでキャンプ。その翌日、無事に東京まで戻ってきたのだった。

あのツーリングを振り返ると、ウエアリングなどは今と比べるとずいぶん性能が低かった。登山用のアンダーウエアに、フリースのジャケット、アウターはウインターツーリングの定番だった風魔プラスワンのシンサレート入りホライゾンジャケットに同じくウインターパンツ、グローブはやはり風魔プラスワンのゴアテックスグローブインサート入りウインターグローブといった構成で、防寒性は高かった。

しかし、雪山アタックで汗をかいた後は、インナーまでグショグショになり、濡れ戻りの寒さですべて着替えないと凍えそうだった。グローブもゴアテックスインサートがあっても内側は汗でグショグショで、いくら慎重に手を抜こうとしても、内張りが指に絡みついて付いてきて裏返しになってしまった。これを元に戻すためには、小枝か割り箸を突っ込んで反転させなければならなかった。

現在のウエアリングは、濡れ戻りを防ぐベースレイヤーがあり、フリースよりも温かくて結露しにくいインナーウエアもあるので、どんなに汗をかいても肌はドライで凍えることはない。

ウインターグローブもベースレイヤー素材と同じ生地のインナーグローブと併用することで、どんなに汗をかいてもドライで、指を抜いた拍子にひっくり返ることもなくなった。ブーツもゴアテックスブーティをはじめとして、防水透湿素材のインナーがあるおかげで、たとえ外に放置しても足を入れられないほどカチンコチンに凍ることもない。

いろいろ道具が進歩して、冬のツーリングも快適になったけれど、ときどき、賀曽利さんが焚き火にブーツをかざしていた姿を思い出して、もうあんな笑い話のような思い出も作れないのか、と思うと少し寂しい気持ちでもある。

そういえば、排ガス問題等で2ストのオフロードもほとんど姿を消してしまい、数少ない2ストオフローダーも低速からトルクフルで、ピーキーな暴れ馬のようなバイクも皆無になってしまった。

今、CCRを再復活させても、あまりドラマは生まれないかもしれない。

 

(続く)

 

※当記事はツーリングマップル週刊メルマガにて2015年1月~3月に配信した記事を再編集したものです。

筆者:touring_m@pp1e

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